2012年03月11日

Never Forget...

あのとき、僕は東京都庁の前を歩いていた。

都庁の前は2階建てのような構造になっていて、上を道路が、下は人が歩けるスペースとなっていて、下から見上げる道路の天井部分(道路の下)は耐震補強のための工事を行っており、大きな鉄板のような鉄柵のようなものがびっしりと貼り付けられていた。

僕は大江戸線で飯田橋から都庁前まで帰ってきて、オフィスに帰る途中だった。たしか、あの日は石原都知事が都知事選に出馬するための会見を都庁の中で行っていたはず。

最初は地震だと思わなかった。上の道路に大きなトラックが通って、天井に張り詰められた鉄板がぶつかり合って鈍い音が鳴り響いているのかと思った。そう思った次の瞬間、感覚的には10メートル前にその鉄板が何枚も落ちてきて、歩くスペースの石畳を深くえぐり始めた。

僕はとっさに斜め前を歩いていた50代と思しき女性の腕を引っ張り、隅によけた。そしてそばにあった階段を下り、半円状に水を溜めているところまで下りていった。その場所の水が大きく揺れているのをみて、地震だと分かった。腕を引っ張った女性は、とっさのことだったから顔も覚えていなければ、どうやってその場を分かれたのかも分からない。
オフィスの仲間が心配になった。鉄板が落ちてきたところとは別の道で地上まで戻り、京王プラザホテルの横を走る。多分、そのときも揺れていたんだと思う。まっすぐ走れずに何度もよろけた。

オフィスがあるビルに入った。エレベータが使えない。6Fまで階段で駆け上がった。とりあえずみんな無事だった。

ネットで地震の情報を集める。震源はどこだ?東京であんなに大きな揺れは経験したことがないぞ、そもそもあと数秒早く歩いていたら、あの鉄板の下敷きになって死んでいたぞ、家族、友人とかみんな大丈夫なのか、っていろんな人の顔が頭を過ぎる。

程なくして、宮城県沖を震源とする地震だと分かった。仙台のシンセサイザープレイヤーの服部さんは大丈夫か?たしか地下にスタジオを構えていたよな、仙台で働く仲間は大丈夫なのか?そういえば16日から仙台に仕事の応援で2週間行くことになっていたな、大丈夫なのかな・・・。

Twitterで服部さんの無事は分かった。その後、電話が通じない中でもメールで東北の状況が伝わってきた。軽い怪我をした人が数人居るくらいでとりあえず済んだらしい。ただし、その家族はどうなんだ?

昨年の2月中旬に職場の同僚が若くして亡くなっている。奇しくもその同僚は仙台市若林区に実家がある。親御さんは大丈夫なのか?

あのとき、全く仕事にならなかった。週明けには名古屋に日帰りで出張に行く予定だったから、名古屋の同僚が悠長に電話してきた。そのとき、名古屋は問題なかったんだ、とも思ったが、こんな狭い日本でこんなにもこの地震の認識に差があるのか、とも思った。同様に、東京にいる人間と宮城で地震に直面した人の受け止め方にも大きな差があるんだろうな、と思った。

徐々に情報が入ってくる。JRの仙台駅が機能していない、津波が広範囲で襲ってきた、浦安あたりも地盤が崩れてしまった、水戸の拠点でも怪我をした人が出てきた、とか・・・。

当時、たまたま全国を管轄する部門のヘッドの前に席を構えていたから、全員で情報収集をした。徐々に地震の大きさを否が応でも思い知らされる写真がネットのニュースサイトに掲載され始める。ショックだったのが、きっとこれから輸出をするであろう色とりどりのコンテナが、まるで小さな積み木を散らかしたかのように散乱していた写真。きっと津波の仕業なんだろう、こんなに大きな津波が来たのか、人は大丈夫なのか?、いろんなことが頭を駆け巡る。

陽が落ちて夜になり、交通機関がストップしていることもあり、皆がどうやって帰るかを気にし始めていた。当時の僕がいた部門は大半が女性でヒールの靴をを履いていることもあってか、歩いて帰るのは現実的ではないとか、オフィスに泊まるとか・・・。僕は20時30分ごろ、これも良い経験だと思って歩いて帰ってみることにした。幸い、国道20号線をまっすぐ下れば、家には辿り着く。

国道沿いには既に徒歩で帰宅する人でごった返していた。どこの誰とも知らない人たちと妙な連帯感を感じていた。国道沿いの民家がトイレを開放していたり、温かいお茶を配っていたり、ストーブを外に出して焚いていたり、人の温かさを感じた。一方の車道では車が全く動かない。人間、最後は自分の力でどうにかしなくちゃいけないんだって思ったりもした。そして、帰りの道中は自宅がどうなっているのか、気になってしょうがなかった。大きな食器棚、本棚、CDを閉まっている棚、楽器、買ったばかりの地デジ対応のテレビ、窓ガラス、全部がいったいどうなってるんだろう、って思っていた。

帰りの道はTwitterに助けられた。広沢さん、小宮山さんからは随時交通情報を教えて貰っていた。22時30分頃、京王線が動き始めたことを知らされ、周囲を歩く人たちにも伝えた。みんなで八幡山の駅に向かい、ホームに着いたときにタイミング良く電車がやってきた。電車が思いの外空いている。

自宅に着いたのは0時過ぎ。マンションのエレベータで別のフロアに住む住民と一緒になる、8Fに住むその方のお宅では、食器棚が倒れて中に閉まっていた食器が全部割れてしまったらしい。そんな話を聞いて、自分の部屋に入る。玄関から見える範囲では問題なし。窓も割れていない。そのまま部屋の中に入る。寝室、リビングは問題ない。食器棚もテレビも本棚も倒れていなかった。そして一番奥にある楽器をおいてある部屋を見て安心した。この程度で良かった、と。

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あれから1年。

僕は日常を取り戻している。
あのときに感じた人の連帯感や温かさがまた薄れてきたことも感じている。

そして、あのときに思った強烈なこと。それは当たり前のことだけど「人間は死ぬ」ということ。ならば、もっと自由にやりたいことをやりたいようにやっていこう、と。


あの震災と津波で亡くなられた方のご冥福を改めてお祈り申し上げます。
そして僕は前に進みます。



posted by Slow Jam at 12:26| 東京 ☁| Comment(2) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まもなくあの時を迎えます。丁度こういうタイミングでこのエントリーを読めてよかったです。

あの地震で色々なことが変わってしまい、変わってしまった日常を送るうちにその日常も段々と変わってきました。Slow Jamさんが書かれたようなことを私も感じています。

しかし津波被害を受けた土地土地は、たまに訪れるだけの私から見れば復旧にすらまだ足がかかっていないように見えます。増してや近しい人を亡くした方々の日常や心の有り様は想像を絶するものがあります。

それでもたくさんの方々からいただいたご厚意、お気持ちは私の中で財産になっています。「成すべきことを成す」ということを私もとても意識するようになりました。

このエントリーを書いてくださってありがとうございます。
Posted by 服部暁典 at 2012年03月11日 13:25
ごめんなさい、今コメント拝見しました。かなりタイミングを逸してしまっていますが、服部さんも日常を取り戻しているようで良かったです。ライブ、観に行かせて貰おうかな〜って思ってるんですけど、なかなか仙台まで行けず・・・
Posted by Slow Jams at 2012年03月25日 22:17
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